コーイチコラム

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コーイチコラムVOL6
    「そしてジャズが流れてる」 2008.11.6

ビンの中はけむりで満たした 空白をうめるみたいに
とじこめる意味のない 淋しさ
夜をけずりとり こわしたあとで
冷たくなって おちてゆく
ふちのない 夢のかけらよ
そして ジャズが流れてる
[そしてジャズが流れてる/火取ゆき・詞]

ピンと張りつめた空気、今から何が始まるのか、
ギターが静かに掻き鳴らされると
石塚俊明のドラムがJAZZを宇宙のように刻む
そしてハスキーな声を震わす

「こんなあたしのココロのすきをぬって
 今夜JAZZがあたしをつれていく・・・」

 火取ゆきとのつきあいはもう11年にもなる。

 友川かずき(※1)の唄をカバーして唄う女性シンガーがいるということは、その当時(95年ころ)よく、ミノヤホールに出演していた東京のパーカッショニスト風巻隆から聞かされ、ブッキングを 持ちかけられたのだが、興味があったがスケジュールの都合で決めれな かった。

※1[友川については http://ja.wikipedia.org/wiki/友川かずき  を参照]

 そして後日、名古屋の盲目のブルースフォークシンガー金沢栄東がやはりミノヤホールに定期的に来てくれていて、彼の出したCDのレーベルが「ペルメージレコード」で、同じレーベルから彼女がCDを出しているということを聞き、是非聴いてみたかったので、栄東さんからそのCDを送ってもらった。そして聴いた。そのCDのタイトルは「今すぐわたしを見て」。全編友川かずきの詞と曲、バックは友川バンドのバックメンバー全員(永畑雅人・石塚俊明・松井亜由美・金井太郎)と友川自身もコーラスとギターで参加。
 CDを聴いて、感激した。感激なんてありふれた言葉だが、すばらしかった。CDでこれなら生はどうだろう? いてもたってもいられない。火取ゆきを呼んでみたい大阪へ。長いブッキング人生でも、こんなにドキドキわくわくして、ブッキングをすることは実はあまりない。

 そして栄東さんから連絡先を聞いて、電話をした。
神奈川県の川崎で「ピンクのブタ」という店を切り盛りしてるらしい。
電話をしたら、随分落ち着いたハスキーな女性の声、いくつなのかわからない(未だにぼくは彼女の年は知りません。それでいいと思ってるし。)
 彼女は・・・ 静かに喜んでくれて、是非来てくれるということに。

 来てくれる前の月に、川崎の元住吉にある、ピンクのブタへ挨拶に行った。ちょうど「土用の丑」の日で、うなぎを用意して彼女は待ってくれていた。今でもなんかそれだけは鮮烈に覚えてる。お店は昔ながらのBARであり、とても落ち着ける懐かしさがある空間だった。そんな中に彼女
はいた。はじめましてもさておき、気負いなく喋ったような気がする。彼女にとってぼくは、ヘンな声の甲高い関西人にしか見えなかったのではなかったか(苦笑)

 しかし、関西に来てくれるにあたって一つ条件があるという。東京渋谷にあるライブハウス「アピア」のマスターが同行すること。渋谷アピア・・・・。悪名高き老舗のライブハウス! マスターはむちゃくちゃ怖い人という噂を聞いていたから、来ていろいろ文句を言われるのは嫌なので、それはちょっと・・・・ということで丁寧に断ったのでした。

 このころは、ミノヤホール隆起の時期で、下のライブDM

(ようこんなもんがでてきたと自分でもびっくりしているのだが)が示すように、かなりいろんな人が出てて、精神的にもエレクトしてた時期で、盟友、島田篤アニキによれば、ぼくは「瞬間湯沸かし器のきっしゃん」 と言われるくらい、気性の激しさというか気違いだったらしく、そんな自分というものをわかってたか、わからなかったか、嫌な人と会えば喧嘩して、打ち壊しになるだろうと・・・
 え、今でも変わってないって? ま、その通りかもしれんが・・・・、たはは。
(97年以前、その場にぼくはいなかったけど、東京から来た某シンガーのライブにやはり東京の某ライブハウスのマスターがついてきて、あれやこれやといろいろ文句つけて、とてもしんどかったということがあったことをミノヤの同僚から聞いて、自分ならぜったいキれてるやろなぁと思ったので・・。)

 そして97年8月も終わりに、いよいよライブ実現へ。
ところが! ライブについてこられました。アピアのマスター、そしてママも・・・。

あぁどうしよう、こわい、しゃあないなとトーンダウンとなったのですが、
とんでもありません、なんと人間的にできた方々なのでしょう!

スケールの大きさ、優しさ!マスター、ママの伊東夫妻は初めて逢ったとは思えない親しみがあり、今日まで本当にお世話になり続けています。
 ミノヤホール〜レッドライオンと小屋をやってきたぼくには、渋谷ジァンジァンとのつながりとその表裏にあたる渋谷アピアのラインまで持つこととなり、ますますブッキングの幅が広がったのでした。
 火取ゆきとの出逢いがなければ、アピア、そして伊東夫妻との出逢いも無かったのです。出逢いとはすごいものだ。

 「火取ゆき」といっても知る人は関西にはほぼ皆無に近い。それならどうしたものか。そうだ、CDのレコーディングメンバーだった、トシさん(石塚俊明)に共演してもらえば、トシさんのお客さんに聴いてもらうことができる! シノラマなどのライブでミノヤに常連で出演してくれていたトシさんにお願いをした。そして大阪では、即興ギターの中村ヨシミツさんとヴァイオリンの平松加奈、京都拾得ではシンガーの光玄さんに対バンをお願いした。
 初めてのライブでとても印象的だったというものは、実はあまり覚えていない。火取ゆき全てが沁みた、沁みいった、というのが全て。そのツアーがきっかけで、彼女は今もトシさんとのライブ活動を続けているのです。今回(2008年11月)も、もちろんそう。

 そのあと98年、99年と続けて大阪に来てもらうが、そこから2006年までブランクを空けることとなる。それは2000年でレッドライオンを閉店して力を失ったぼくの事情もあったし、彼女自身の事情もあった。自由に唄うということができず、もがき苦しんでいたのだ。数年は全く連絡をとりあわないことになり、関係は自然消滅したかに思われた。とても悲しかった・・・・。
 2003年2月にアピアのママが亡くなった。お葬式で彼女と会ったが、会話を交わすこともなく、なんともやりきれないものに襲われた。

 その後アピアでのライブ企画は細々と継続してやらせていただいてたのだが、2005年にアピアで企画させてもらった時に彼女がアピアで働いていて再会となる。ピンクのブタは閉めて、ママの代わりにアピアでフード担当として切り盛りを始めたのだ。ちょうどこのころ伊東さんの息子のREIKUが店長として、世代交代し、新たなアピアが始まり出した。
(http://www.apia-net.com/profile/参照)

 この時に彼女と、お互いの氷壁が解け合ったように自然に話しができて、彼女は
「私唄いたい、唄ってもいいんだよね」と言われ、
「唄って、唄ってーや」というぼくがいた。
 そして2006年、久々に大阪へ来てくれて、年1〜2回のペースで今は続けて唄いにきてくれている。

 ぼくが99年に「真昼の星空」という彼女のセカンドアルバムのCD発売記念ライブをやった時、ワンマンで行ったので、動員には自信がなかったが、「ほんまにええんです、ぼくの一押しです、是非来て」と常連のお客さんにむっちゃプッシュした。そして来てくれたお客さんに「ほんま来て良かった、きっしゃんのいうたとおりやったで」と言ってもらったことが今も忘れられない。
うれしかった、火取ゆきの唄が届いたのだ!
 もちろん毎回いろんなミュージシャンのライブをやってきて、いい加減な宣伝をしたことは誓ってないが、自分が本当に好きで愛している音楽を薦めるということは、実はあまりない。でも火取ゆきに関しては、そうさせてしまうものがある。

 ほぼ20年前に三上寛に出逢い、衝撃を受けて、そして須山公美子に逢い、音楽の広さを知り、下田逸郎に逢い、人間というものを改めて眺め、そして火取ゆきに逢って、その全てを愛してしまった。それがぼくの音楽人生。

 火取ゆきは1STアルバムで友川かずき、2ndアルバムで小池真司という鬼才アーティストのカバーを唄っている。そのカバーもすばらしく、もはやその作品全ては彼女の血肉となっているのだが、いかんせんオリジナルのアルバムが無いことに当時からぼくは憤慨していたのである。彼女を取り巻くいろいろな事情というものが、それを創りだすことを否定していたのだが、先ほど記したように彼女のオリジナルはカバー以上にすばらしいのである。
 うれしいことに全くの手作りだが、最近、オリジナルをメインとしたライブDVD「火取ゆきを愛する友へ」が2種類発表された。次はいよいよオリジナルの本格的なレコーディングを予定しているみたいで大いに期待する!

 「そしてジャズが流れてる」の彼女の手書きの歌詞原稿は、99年11月、ぼくに送られてきた彼女からの手紙の裏にあったもので、これを送ってきたのはどういう意味かな? と思ってたのだが、いつのまにかぼく自身もこの唄を自分の持ち唄でライブでよく唄っていたのだった。
前述通り、数年後再会した時に、その話しをして、「唄ってます」ということを伝えたら、「そういうことやったんやね」と・・・。

 彼女の唄はすばらしい秀作がまだまだあって、もっと紹介したいけど、それは是非ライブで聴いてほしい。

ぼくは今回、こんなコピーで彼女を紹介している。正直な気持ちである。

『火取ゆき』
福島県三春町に生まれる。上京後、バンド『RED ZONE』を結成、バンド解散後、ソロ活動に入る。映画「背中でしな子」のテーマソングを歌う。
友川かずき、三上寛、遠藤ミチロウなどの強者シンガーとのジョイントライブを重ね、現在、頭脳警察のドラマー石塚俊明とライブ活動を共にする。
火取ゆきの世界は、重いし暗いかもしれない、だけど魂が浄化されるような、人間の心の奥に締まっていた何かを揺さぶられる・・

 東急東横線の元住吉駅が高架になって、ピンクのブタも無くなり、昔よく泊めていただいた、アピア伊東家のマンションの部屋はマスターが引っ越しをし、アピアもまた新たな姿に変化しようとしている。
 全ては想い出になってしまった。

 でも火取ゆきは唄ってくれる。
「ただ愛のために・・・」と
 火取ゆきの唄が聴きたい、
 忘れない 愛したことを いつまでも・・・

 いろいろしんどいんやけど、ぼくももうちっとがんばってみるかな・・・・。

ビンの中はけむりで満たしたけど 気がつくとふりだしのまま
とじこめた意味のない淋しさ
悲しかったあの日のことを
忘れないでね愛したことを 
止まった時間の中で
そしてジャズが流れてる・・・・

※敬称略


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